涌谷高校創立100周年

100周年記念式典

《涌谷高校創立100周年式典1》

 《涌谷高校創立100周年式典2》

 

【校長式辞】

 長く暑い夏も終わり,日ごとに秋も深まり,色彩あふれる紅葉の美しさに心弾む季節となりました。

 本日,この良き日に,宮城県知事・村井嘉浩様,宮城県議会議長・相澤光哉様,宮城県教育委員会教育長・伊東昭代様をはじめ多数のご来賓の方々,そして多くの同窓生の皆様,PTA関係各位にご臨席を仰ぎ,ここに宮城県涌谷高等学校創立100周年記念式典をかくも盛大に挙行できますことは,この上ない大きな喜びであります。教職員を代表し心より御礼を申し上げます。

 平成の時代が終わり令和の時代が訪れ,技術革新のスピードがますます速くなっている現代。昔と比べると驚くような変化が身の回りで起きています。このような時代に,学校教育はどうあるべきか,本校の10年後,20年後の姿はどうあるべきか。そのヒントは,本校の100年の歴史を振り返ることから得られるのではないかと考えました。そこで,本校の歴史を記した記念誌から,本校が設立された当時の様子や,その後の変遷について,本日御列席の皆様と一緒に振り返ってみたいと思います。

 本校は大正8年遠田郡立涌谷実科高等女学校として涌谷町立町に設立されました。明治時代末には小学校の就学率が98%を越え,義務教育に続く上級学校への進学希望者の声に応え,男子は中学校の,女子は高等女学校の設立の気運が高まりました。当地においても,郡立の実科高等女学校の設置申請を,涌谷町長が当時の遠田郡長・土居通次に提出したのは大正7年のことでした。土居は若くして郡長を務めた,勧業と教育に熱心であった人物と言われ,寄付金問題で紛糾した郡議会をまとめ,破格の予算規模を以て本校の設立を成し遂げたのであります。教育は国家百年の大計とも言われますが,土居の将来を見通す確かな英断が,今日の涌谷高等学校百年の礎となっており,真に敬服の念を禁じ得ません。

 その後,県立に移管し,第一・第二高等女学校に続いて県立の宮城県涌谷高等女学校となったのが2年後の大正10年のことであります。裁縫家事などの実業科目に重きを置いた実科高等女学校時代の「良妻賢母」の精神がその後も引き継がれ,女性としての心身の修養と身体の鍛錬に重きが置かれていました。

 戦後,昭和23年の学制改革により,校名も「宮城県涌谷高等学校」と改められ定時制課程及び分校を併置するとともに,昭和25年から男子の募集を開始し,いち早く男女共学の学校となったのです。その後,昭和40年には子供の数の急増及び高校進学率の上昇により在籍生徒数が1,300名を越える大所帯となり,立町の校舎・敷地が狭隘化したことから,昭和48年,現在地・八方谷に新校舎を構え移転いたしました。

 これまでの卒業生は22,000名を超え,地域を担う優秀な人材を数多く輩出するとともに県内外の各方面で広く活躍しておられます。

 残念ながら本校も少子化の波には抗いきれず,昭和55年から学級減が進み,現在では学年4学級規模になりましたが,この間,涌高ふれあい隊が結成され,地域に密着した活動を展開し平成19年には全国防犯協会から表彰を受け,今年5月には一般社団法人日本善行会より善行表彰を受けました。また,これまでの積極的なPTA活動が認められ平成28年には優良PTA文部科学大臣表彰も受けました。このように,学校規模は小さくなりましたが,生徒諸君の自覚の高まりとともに,また,PTAの積極的な活動により,学校がこれまで以上に活性化され,地域から認められてまいりました。

 さて,涌谷高校を語るときに忘れてならないのはハンドボール部です。県高校総体を31度制し,全国大会常連でハンドボール涌谷の名声を全国に広められた伝説の教員,山崎金夫先生です。先生は「やまきん」の愛称で親しまれ,お亡くなりになってなお,薫陶を受けた多くの同窓生から圧倒的に慕われる存在です。

 長年に渡り本校で教鞭を執られた先生は,創立60周年記念誌に次のようなエピソードを寄せています。

 「感動的だったのは昭和34年の東京国体準優勝のときである。準々決勝で兵庫県尼ヶ崎高校との泥んこ試合,延長戦にもつれ込むも勝敗決せず,両主将による抽選。尼ヶ崎高の松井が先に,涌谷高の伊藤が後から引く,両方一緒に開く,静かな雰囲気の中であいさつを交わしてベンチに引き上げてゆく。どっちが勝ったか誰も分からない。溢れる人のスタンドも静寂,『どうだ』と聞いたら『勝ちましたが,尼ヶ崎高校がかわいそうです』実に清々しい幕切れで,場内放送と同時に賞賛の拍手がいつまでも続いた。」

 現在,校長室には高等女学校時代に寄せられた「婦徳」という書が飾ってあります。「婦」は女性,「徳」は道徳の徳,その意味を辞書で引くと「女性として守るべきだとされた行いの規範。修養によって身に付いた品性」とあります。私は,この伊藤主将の謙虚で優しく思いやり溢れる振る舞いに,この書を思い浮かべると同時に,本校の校訓の一つである「謙譲優雅」の精神,相手の立場を考え優しく品のあることが厳しい練習を通じて身に付いたのだろうと胸が熱くなる思いがいたしました。これがやがてはモントリオールオリンピックに出場した加藤美起子・穂積美保子両選手の育つ土台ともなったのです。

 なかなか全国の壁を破れなかった「やまきん」先生ですが,昭和53年3月,私が高校1年生に在学の時です。「やまきん」先生がご退職の一年前,ついに涌谷高校ハンドボール部は第1回全国高等学校ハンドボール選抜大会で悲願の全国制覇を成し遂げたのです。

 ところが,「やまきん」先生は優勝監督の胴上げを理由も言わずに固く辞退したそうです。「やまきん」先生は,ご自身が何回も優勝を目前にして涙をのんだ経験から,敗れた側の監督の思いや相手チームを気遣う気持ちから,優勝しても決して胴上げはさせまいと決意されておられたのです。選手に高いレベルを要求し厳しく接する一方で,生徒に愛情を注ぎ,人としての生き方を伝える。また,その教えを受けた生徒の振るまい,活躍はまさにそれを具体の形として私たちの前に示し,人間として大きく成長していったのです。

 「やまきん」先生は次のようにも述べています。「汗と泥にまみれ,流れ出る涙をすすり込んで今日一日精魂をつくし錬磨してこそ狙う目標に近づく要素ができるのであり,ボールを棄てユニホームを脱いだ後も消えることのない一生の宝を,短い,若い世代の三年間で築くのである。」

 在校生の諸君,諸君も高い目標を掲げ,自らに厳しさを課し,努力を積み上げ,困難を乗り越える中で,有形無形の一生の宝を,この三年間の中で獲得していただきたい。

 本校100年の長い歴史と伝統は,山崎先生はもちろん,同じように熱意と愛情を持って生徒をご指導いただいた数多くの先生方のご尽力と,またそれに応えた生徒たちの精進の積み重ねによって築かれたものであります。それらを私たち教職員生徒一人ひとりが自分のものとして継承し実践していくことが本校の更なる発展につながるものであり,次の大きな節目に向けた私たちの努めでもあります。

 最後になりますが,創立100周年記念事業をはじめこれまで本校の教育活動にご支援とご協力をいただいて参りました涌谷町当局,PTA,同窓会ならびに地域の皆様方に対し衷心より御礼申し上げますとともに,来賓の皆様におかれましては今後なお,ご指導とご支援を賜りますようお願い申し上げ式辞といたします。 

令和元年10月25日

                                    宮城県涌谷高等学校長  樋野 伸治 

 

【実行委員長挨拶】

 本日ここに、宮城県涌谷高等学校創立100周年記念式典が厳粛かつ盛大に挙行されますことを、涌谷町を代表いたしまして、心からお祝い申し上げます。

 この記念すべき日を迎えるにあたり、関係各位の御協力のもと「創立100周年記念事業実行委員会」を組織し、準備を整えてまいりました。お陰様を持ちまして、本日の記念式典を迎えることができましたことに厚く御礼を申し上げます。

 涌谷高等学校は、大正8年に「遠田郡立涌谷実科高等女学校」として創立されて以来、この涌谷の地でしっかりと根を張り、今日まで地域と共に歩みを進めてこられました。創立以来、数多くの優れた人材を輩出されるとともに、地域の教育振興の柱として大きく貢献されたご功績は、ひとえに歴代校長先生をはじめとした諸先生方の献身的なご努力と、PTA各位、並びに地域の皆様の教育に対するご理解とご協力の賜であり、心より敬意を表する次第であります。

 今、涌谷高等学校は「質実 勤敏 謙譲 優雅 自律 協同」の校訓のもと、学業の面では、大学進学者数も年々増え、多様な進路希望に対応できる高校として、地域から大きく期待されております。

 部活動についても、生徒の皆さんは、県内はもとより全国でも涌谷高等学校生としての実力を遺憾なく発揮され、昭和51年のモントリオールオリンピック・ハンドボール競技に卒業生2名が出場、昭和53年には第1回全国高等学校ハンドボール選抜大会において全国制覇を成し遂げられました。平成13年に本県で開催された「新世紀みやぎ国体」では新体操部男子が5位に入賞するなど、数々の大会で優秀な成績を修められており、涌谷高等学校の名声を高められております。

 また、教育目標には、「常に問題意識を持って自主的に学習し、公正な判断力とたくましい実践力で、個性的に自己を実現し、かつ、社会に役立つ人間を育成する」ことを掲げ、具体的には生徒全員が参加する「涌高ふれあい隊」による地域でのボランティア活動を積極的に実践されて全国表彰を受けるなど、自主的な活動も高く評価されております。まさに、文武両道を文字どおりに実践されている学校であります。

 涌谷高等学校の所在地、涌谷町は、奈良時代に奈良東大寺 大仏様建立の際に金を献上した「日本初の産金地」であることが知られております。さらに、まちづくりにおいても目標とする将来像を「黄金花咲く 交流の郷 わくや―自然・歴史を活かした健康輝くまち―」と定め、自立した地方自治体を目指して、健康福祉、歴史・観光に様々な取り組みを行っております。

 また本年、令和元年5月には、涌谷町と、宮城県気仙沼市・南三陸町・岩手県陸前高田市・平泉町の それぞれに金の歴史を有する2市3町が共に申請しました「みちのくGOLD浪漫―黄金の国ジパング、産金はじまりの地をたどる―」が、文化庁から「日本遺産」に認定されました。涌谷町は、国指定の史跡や県指定の文化財も数多く、涌谷伊達氏2万3千石の城下町として栄えた由緒ある歴史の町でもありますので、これを契機として、町の歴史遺産を活かした魅力ある観光事業の推進に更に力を入れていきたいと考えております。

 涌谷高等学校の生徒の皆さんも学業は申し上げるまでもありませんが、生まれ育った地域の、或いはかけがえのない青春を過ごした涌谷町の伝統、文化はもちろん、歴史などを学んで、誇りと、愛着を持って、今後の魅力あるまちづくりに、若い世代のあふれるパワーを活かしていただきたいと願っております。

 結びになりますが、この百周年を一つの大切な節目とし、涌谷高等学校がこれまで築いてこられました伝統の上に、更に力強い歩みを重ねられますことをご祈念申し上げ、お祝いの言葉を申し添えまして、ご挨拶とさせていただきます。

令和元年10月25日

                         宮城県涌谷高等学校創立100周年記念事業実行委員会委員長

                                           涌谷町長 遠藤 釈雄

 

 

 【県知事祝辞(副知事代読)】

 本日ここに、宮城県涌谷高等学校創立百周年記念式典が、多くの関係各位の御臨席のもとに開催されますことは、誠に喜ばしく、心からお祝い申し上げます。

 本校は、大正八年四月に、女子に対する中等教育を実現したいという地域からの熱望に応え、遠田郡立涌谷実科高等女学校として開校しました。大正十年には、県立の宮城県涌谷高等女学校と名称を変更し、昭和二十三年の学制改革により、現在の宮城県涌谷高等学校となりました。

 大正から令和までの四つの時代とともに歩んできた、歴史と伝統のある高校として、涌谷町をはじめとした地域からの大きな期待を受け、学習とスポーツの両立を奨励して、豊かな人間性と高い教養を身につけた人材を育成し、これまで二万二千名を超える卒業生が社会の様々な分野で活躍されています。

 一世紀にも及ぶ足跡を刻み今日に至っておりますが、定時制課程である、中埣分校や箟岳分校の設置と廃止、そして立町にあった旧校舎から、この八方谷の地に校舎を移転するまでの過程には、数々の苦労もあったと伺っております。

 しかし、この間一貫して、地域の皆様の御支援・御協力をいただきながら、生徒、保護者、教職員が一丸となって教育活動に取り組んできました。特に、昭和五十二年度末にハンドボール部が念願の全国制覇を果たしたことなどをはじめとし、これまで運動部・文化部ともにめざましい成果を上げてきました。たゆまぬ努力を続けてきた生徒の皆さんと、その熱意に応えられてきた歴代の校長先生をはじめとする教職員、さらには保護者・地域の皆様の御尽力の賜と心より敬意を表します。 

 生徒の皆さんには、高い志を持ち、これまで先輩が築き上げてこられた百年の歴史と伝統の重さをしっかりと受け止め、校訓である「質実 勤敏 謙譲 優雅 自律 協同」を体現し、本校の新しい歴史をつくりあげていくことを願っております。 

 次代を担う青少年の育成にとって、学校教育の果たす役割は極めて大きなものがあります。校長先生をはじめ、教職員の皆様には、今後とも生徒諸君の志の実現に向けて御指導いただくとともに、県民や地域の皆様の大きな期待に応えられる学校づくりに邁進されることを期待しております。

 結びに、これまでお力添えを賜りました御来賓の皆様並びに関係各位に改めて深く感謝申し上げますとともに、宮城県涌谷高等学校が益々躍進されますことを祈念し、お祝いの言葉といたします。

令和元年10月25日

                                      宮城県知事 村井 嘉浩

                                      代読 宮城県副知事 佐野 好昭

 

【県議会議長祝辞(副議長代読)】

 はじめに、台風第十九号の大雨等によりお亡くなりになられた方々の御冥福をお祈りいたしますとともに、被災された皆様に心より御見舞い申し上げます。
 宮城県涌谷高等学校創立百周年、誠におめでとうございます。記念式典の挙行に当たり、県議会を代表いたしまして、一言お祝いを申し上げます。
  貴校は、地域の皆様の熱い期待と関係者の御尽力により、大正八年、遠田郡立涌谷実科高等女学校として創立され、以来、県立高校への移管や戦後の学制改定などを経て、百年にわたる長い歴史の中で幾多の優秀な人材を輩出して来られました。
 これもひとえに、歴代校長先生をはじめ、教職員の皆様の教育に対する情熱と不断の御努力はもとより、それに応える生徒諸君のたゆまざる研鑽と地域の皆様の温かい御支援の賜物であり、深甚なる敬意を表します。
 本日の記念式典は、涌谷高校百年の節目に輝きを添えるものであり、新しい令和の時代に、貴校が歴史と伝統を刻んでいく幕開けとして、大変意義深いものと存じます。
 今日の我が国は、少子高齢化に伴い社会構造が著しく変化しており、社会のあらゆる分野で、既成概念にとらわれず、新しい発想で多様なニーズに応え、社会をより良く変えていくことができる人材が求められております。
 貴校におかれましては、「質実 勤敏 謙譲 優雅 自律 協同」を校訓とし、これらに基づいた教育目標を掲げられ、社会に有為な人材育成に取り組まれており、誠に心強い限りであります。
 また、在校生の皆さんには、本日の記念式典を契機として、先輩方が築いてこられた百年の足跡を顧みながら、今後とも精一杯、勉学や部活動に励まれるよう期待いたしますとともに、日頃から社会の様々な出来事に関心を持って、自ら考え、行動し、社会貢献と自己実現ができる社会人になっていただきたいと思います。
 結びに、貴校のますますの御発展と教職員・PTA・同窓会の皆様、並びに関係の皆様方のなお一層の御健勝・御活躍を祈念いたしまして、お祝いの言葉といたします。

令和元年10月25日
                                    宮城県議会議長 相沢 光哉

                                    代読 宮城県議会副議長 只野九十九

 

【生徒代表御礼】

 秋の気配が色濃く感じられ、遠くに望む山々が錦綉に彩られる季節となりました。

 本日、宮城県涌谷高等学校 創立百周年記念式典がこのように盛大に挙行されますことに、生徒を代表して心からお礼を申し上げます。百年という長い歳月を思うとき、歴史の重みを感じるとともに、記念すべき節目の年に立ち会うことが出来た喜びと、私たちの涌谷高校を今日まで支えてきてくださった方々への感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます。

 さて、宮城県涌谷高等学校は大正八年遠田郡立涌谷実科高等女学校としてうぶ声をあげ、その後県立へ移管、男女共学校へと変わり、今の宮城県涌谷高等学校となり、今年で満百歳を迎えることになりました。戦中戦後の激動の時代を経て、苦難を乗り越えて私たちの涌谷高等学校が今日あるのも数多くの方々のご苦労、ご支援、ご尽力があってのことと改めて深く感謝申し上げます。

 創立以来、数多くの先輩方が卒業され、各分野でご活躍されております。私たちはそのご活躍を心の支えとし、先輩方や、地域の方々によって培われてきた伝統と校風をさらに発展させていかなければならないと強く感じております。

 ここ十年間を振り返ってみますと、少子化の波が本校を襲い、年々生徒数が減っています。時代の流れに沿い、ICTが導入され、授業のありかたも大きく変化しています。このように様々なことが変化していく時代に生きる私たちですが、決して忘れてはいけないのが東日本大震災です。多くの方々が地震、津波の被害を受け犠牲となりました。亡くなられた方々の思いを受け継ぎ、これからの社会に大きく貢献することが、亡くなられた方々に対する礼儀だと思います。過去というものは時間が経つにつれて風化していくものですが、忘れてはいけないこと、また、私たちのような若い世代がその思いを受け継いで、次の世代に繋げることが何よりも大切です。今後、AIの発展により日本も大きく変化していくことになるでしょう。私たち一人一人が自らの役割を探すことになります。その中で、沢山の人々の思いを背負い、新しい時代を切り拓いていくという役割が私たちにはあるのだということをしっかりと認識し、これからの時代を生きていきます。

 現在 私たち涌谷高校生は、生徒会が掲げたスローガンのもと、勉学に、部活動に、学校行事に一生懸命に取り組み、活気にあふれた学園生活を送るとともに、それぞれが自分の進路に向けて大いに力を発揮しております。

 部活動では文化部、運動部を問わず大きな成果をあげております。また、地域のボランティア組織として、平成十七年度に発足した「涌高ふれあい隊」は、涌谷町から地域の防犯リーダーとしての委嘱を受け、生徒会を中心に様々な活動を行ってきました。ボランティア清掃や万引き防止キャンペーン、防犯マップ作り、天平フラワーロード整備にも参加しました。その頑張りが多くの人達から認められ評価されてきたことを誇らしく思っております。これを励みに、これからも地域の方々とのふれあいを大切に、地域の方々に役立つ活動を継続していきたいと考えております。

 私たちの涌谷高校が百年の歴史を経て新しい未来に向けた第一歩を踏み出そうとする今、同窓生の皆様とともに、涌谷高等学校の歴史をお祝いできることに改めて幸せを感じております。

 校章にある八重桜は、伝統を尊重しながら、より高雅な日本人、より堅実な社会人を育てる学校の象徴として、それまでの吉野桜から改められたものと聞いております。私たちはこの百年間脈々と引き継がれてきた伝統を礎に、八重桜のように、さらに年月を重ね、校歌の一節である「理想の炬火をかざしつつ」新たな歴史を刻むべく、皆様から寄せられたご信頼とご期待に応えられるよう日々努めて参りたいと思っております。

 校訓である「質実 勤敏 謙譲 優雅 自律 協同」の精神である、自己実現のためには己に厳しく、社会貢献のためには他人に優しくという言葉を胸に刻み、更なる発展を目指して活力ある涌谷高等学校を作り上げていくことが、私たちの責務と考え、決意を新たにしております。

 これまで私たちの涌谷高校を支えてくださった多くの方々に改めて感謝を申し上げますとともに、今後ともご指導ご鞭撻くださいますよう、よろしくお願いいたします。

 最後に、本日私たちの涌谷高校へお越しくださいました皆様、この百周年にあたりご協力くださいました皆様に感謝を申し上げ、生徒代表の御礼の言葉といたします。

令和元年10月25日

                                          宮城県涌谷高等学校

                                          生徒代表  阿部 勝大